釜石のホテルに泊まって旅行の3日目。雨です。

 

     

駅前の1858年に日本初の鉄鉱石精練による出銑操業を成功させ、釜石を国内近代製鉄の発祥地にした大島高任の像。と復興の鐘

 

あとはどこにもよらず国道45号線と三陸復興高速道を乗り継いで南へ走りました。

ひたすら国道を走ったのは、津波の後がどうなっているのか気になっていたからです。

来年の3月で津波に遭ってから10年。復興は進んでいるのか???

一見きれいになったようには見えます。壊れた家は片付けられていますし、高台には新しい家が建っています。

津波にさらわれた入江には、例外なく水門が設置されていますし、背の高い防潮堤に囲まれています。

浸水したところは住宅は立てられない地域として運動場、公園などに 整備されています。

 

 

高田松原も美しい松林は残らず津波にさらわれて生き残った奇跡の一本松も のちに枯れてモニュメントになりました。

ソース画像を表示奇跡の一本松

バックの建物は震災遺構のユースホステル 写真はネットより拝借

この日は雨だったのでこの写真のようではありませんが…。

 

 

広い広い面積の祈念公園。ほぼ出来上がって一般に開放されたので見学してきました。

どんな施設なのかはHPをぜひ見てください。私が写した写真よりはこの施設が出来た目的などが伝わります。

 

https://takatamatsubara-park.com/

 

 

 

敷地も広いし、駐車場も広い。

平日なので高校生や中学生の校外学習でしょう、たくさんの制服姿が見学に来ていました。

 

建物も大きい。

国の復興予算も注入されているとはいえ、充実した展示内容に説明をしてくれる職員さんも多くいるのに、無料です。

 

すでに知っている事ばかり、って言うか自分も体験したことです。

改めて復習するように展示の写真、文字を心に刻みました。

 

海を望む場と献花台。

海を眺めました。

 

背の高い防潮堤の海側には被災した松原の後継松林を作るために植林されていました。

おおきくなあれ。

残った奇跡の一本松のようにしっかりと育ってくれ。

気仙川の河口につくられた水門。

 

 

そのあと、気仙沼市内を通って帰る途中、気仙沼大島にかけられた橋が出来上がっているのでそれを渡って帰りたかったので、

大橋、渡りましたよ。

以前来た時にはフェリーに乗って来たのです。大島は近くなりました。

大島から眺めた気仙沼市街地 埋立地には工場、魚市場など、かなり復興している姿が見て取れます。

 

以下は2年前の記録です。