ブログを書き始めてから、彼女が亡くなるまでの間、時たま母のことを書いてきました。

最初の記事2005年5月9日 の時にはすでに認知症が進んでいましたから、ブログに登場する母はいつも私たちより弱い立場。

元気だった姿は登場しませんでした。

 

ちょっとしたきっかけで、今日はその前の彼女のことを書きたくなりました。

 

 

元気だったころの母はとてもエネルギッシュ。父の仕事の半分以上をこなしていたし、

外国にだって、1人で旅行していたし、仕事以外に趣味もたくさんあったし。

 

 

その趣味の1つが書道だったわ。

その腕前は趣味の域を脱していて、あっちこっちの書道展に出しては特選に選ばれたりしていた。

仕事が忙しかったから、書道の弟子は1人も持たなかった母。

税務署がたくさんの弟子がいるに違いないのに脱税しているのでは?と調べに来たこともあった。

 

 

母が心臓を患い、趣味の書道を続けることが難しくなった時。

1度も練習に行くことが出来なかった月に、母の書道の先生に、お月謝を払ってくれるように頼まれた。

この時は入院していた。

次の月。もう退院していたのだけれど、お月謝を払ってくれるように頼まれた。

次の月も。

結局1年以上、練習に行くことなく月謝を払い続けたわ。 そして少しづつ認知症の症状が出てきた。

 

 

きっと母は月謝を先生に払い続けることで、書道で評価されたりしていた栄光を手放したくなかったのだろうか。

あるいは、病気が治ったら、また書道を続けようと思い込むことが、生きていくモチベーションだったのかなあ。

月謝は生きていく目標を与えていただく印だったのかもしれない。

 

 

 母とは関係のない朝食。

あるものの整理。