亡くなった母は4人姉妹でした。
4人のうち、3人は亡くなり、一番年下のおばさんが生きています。
子どもが生まれたあとも仕事を続けていた私、あの当時保育所なども十分ではなく、頼りにできるのは叔母さん。
近くに住んでいたために叔母さんには子育て応援で、ずいぶん世話になりました。
オットは全くの企業戦士で。
一番大事なのは会社で、子育ては女の仕事とばかり、まったくあてにはなりませんでした。私も仕事してたのに。
あのイケイケどんどんの時代、どの会社の事情も同じだったでしょうね。
その、とても世話になった叔母さんは、今、施設で暮らしています。
認知症がすすみ、あっぺとっぺなんだよねーと、悲しそうに愚痴をこぼす従弟(叔母さんの息子)のことばに、
そうだ! うんとかわいがってもらった娘の顔を見れば少しは色々なことを思い出して楽しんでくれるかもしれない・・・・
娘を連れ出して、叔母さんに会いに行ってきました。
世話になっていたころの小さかった娘は、今では子ども3人いるアラフォーおばさんになっています。
何度も何度も、よく来てくれたねーありがとう。ところで、あんだ だれだっけ? のくりかえし。
叔母さんの記憶は、真中がすっぽり抜け落ちている。。。。
3日、今日は前日と違って曇りで暑くないので、屋上へ散歩に連れ出しました。
だいぶ足元はおぼつかなくなったけれど、杖があれば歩けます。
部屋にばかりいるより、外の風にあたり、緑を見るほうが絶対にいい。
しかも、家族や私達が一緒。
しゃべりながら屋上をゆっくり歩きます。
オットが写してくれた記念写真は左から私、おばさん、娘。従弟。
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人間ってこうやって年を取っていくんだね。。。。 娘。
もっちゃんの顔を見て、笑顔で喜んでもらってよかったね。
私たちだって、だんだんあやしくなって、いずれあっぺとっぺになるよ。 私。
今度は叔母さんの記憶がよみがえる写真をたくさん持って訪れようと思います。
それにしても娘が苦労するような衰え方だけはしたくないなあ・・・・。
あんまり突然死ぬのも青天の霹靂だろうから、
だれかさんのように、体調不良から1か月くらいはみんなをやきもきさせて、脳梗塞でさよならっていうのも悪くない気がする。
しかし、だれかさんは70歳。人の命はてんでんと言っても、寿命が延びた今の時代には早すぎる。
仙台市内、定禅寺通り。