2月22日(土)
大車輪で準備に追われた祝賀会が盛大に行われました。
現会員のほかに、山岳会を卒業した旧会員が共に50周年を祝いました。
菊地多賀城市長をはじめ多くの来賓の方々も駆けつけてくださいました。
まず、亡くなった方々に対して、黙とうすることから会は始まり・・・・・
会長さんは3代目、創立当初からずっと山岳会のかなめだったんだよね。
挨拶の口上どおり、60年、70年と山に登れるように会長さんも身体を大切にしてくださいね。
外国の山にも、私もついていきますから。
宮城県山岳連盟元会長さんは、90歳。とてもそんな年齢には思えないユーモアにあふれた祝辞。
記念誌のために原稿を書いたから、それを見てください、と前置きしてしゃべりが長くなることへの配慮も忘れません。
式典が終わり、宴会に入りました。
会場をいろいろ歩いていたので、気がつけば写真がありませんが、
乾杯のあと、山岳会の足跡をスライド上映。それを見ながらおしゃべりに花を咲かせ、
旧会員の方々と思い出話に盛り上がり・・・・
アルコールが適当に回ったころ、森さんのハーモニカ伴奏で雪山賛歌、早春賦を合唱し、
みんなが大好きな蔵王の歌で怪気炎。男性軍の意気が盛んな事
そうそう、菊地市長さんがカラオケに合わせて歌ってくださいました。
素晴らしい声です。
山登りがしたいから、連れて行ってとも祝辞で言っていたので、市民登山にはスケジュール空けてくださいね。
って言っても・・・・忙しい人だからなあ・・・・はたして・・・・。
会場のホテル側の好意で、お開きのあともテーブルを寄せて2次会のために宴会場を貸してくださいました。これも、ホテルに顔が効く会長さんのおかげですね。
色々手際が悪くて、行き届かないことが多々ありました。
そのあたりは、寛大な皆さんに許していただきたいわね。皆様、ご協力ありがとうございました。
とにかく、穏やかに晴れたこと、よかったわ。
無事終わってホッとした。
明日、いろいろと後始末することになっています。
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山岳会が出来たころ、若い人たちの間で登山がブームだった。みんな10代、20代だったのよね。
私は山岳会ではなかったけれど学校時代の部活の延長で気の合う友達とよく登っていました。あのころ。
昔の記録を見ていると、みんな本当にハードな登山をやっていた。
それが50年も経つと、会員の平均年齢は60歳を超えています。8割が60歳以上。
新入会員も、定年を迎えたから…と、新しい道を探して山岳会に入会してきます。
山ガールとか言ってファッションから山へ誘導するような、商魂見え見えな動きも世にはあるようですが、山岳会にはなかなか若い人は入ってきません。組織に縛られることを嫌うのでしょうか。
なので、山岳会の活動も、若い時代の冒険を求めてする登山から、健康スポーツとしての登山へと変わりました。
山岳会は市民登山の支援を通して健康スポーツとしての登山の楽しさを市民に伝えるという役目も持っています。
高齢であってもみんなまだまだ山が好きと言うことには誰にも負けない気概を持っています。
60年、70年に向けてこれからも好きな山で社会貢献できる山岳会であり続ければいいな、というのが50周年の行事を終えて感じることです。