50周年を迎えるお祝いのための実行委員会は平成22年に立ちあがってはいたのですけれど、そのあとの東日本大震災のために、お祝いの準備どころではなくなり、
暮れからあわただしく準備に大車輪で追われました。
2月22日(土)。記念式典を終了し、まずは一段落です。
ウサギが山岳会のマークに決まってから、30年にもなるのでしょうか、私が参加させてもらうようになった時にはすでにウサギがいたような…。
マークについてのうんちくは、またの機会として・・・・・
ほんとはね、目は、二日酔いのために赤いのだそうですが、山頂で乾杯することはなくなったからね、今は。
みんなすでにカップは持ち歩いているけれど、チタンの軽いカップは値段が高いので、こういう機会にゲットできるはうれしいだろう、というのが選んだ理由。
持ち手をたたむことが出来、2重カップになっていて、保温性があって。
原稿の半分はデータでもらったけれど、半分は手で入力した、とのこと。
一口に手で入力したって、簡単に言うけれど、暮れからずっと、休日返上、出勤前朝3時からこの記念誌の入力のためにかかりきりだったということで、本当に頭が下がります。
すごいのは昭和60年から昨年の暮れまでの山行の記録の数々。
記念誌の半分以上を占めるこの記録を、始めのころのほとんど手書きの読みにくい(ごめんなさい)、様式もバラバラな中から、全部拾い出して記録にするのは本当に根気のいる、大変な仕事だったと、思います。
そして、これには索引がちゃんとついていて、それさえ見ればいつでも記録を取り出し、参考にすることが出来るのです。すごい!
それにしても・・・・・
このころは、山行参加者も少なくて自家用車利用だったのよね。
記録1つ1つが、たちまちあの時の楽しさがよみがえります。
また1つ大きな財産が手に入った気持ちです。
で、ついでに、次は、私がこの記念誌のために書いた原稿です。
デジカメを持って山に行こう!
デジカメを持つようになったのは、確か最初が2002年なので、もう10年以上デジカメで山行を記録していることになります。
井の中の蛙が大海を見ようと、ネパールに2度、世界一きれいな散歩道と言われるミルフォードトラックなどにも行ったので、それらもデジカメに記録として残っていて、写真を見ればその時々の感動がよみがえります。
でも・・・・。
井の中の蛙は、それらが世界に2つとない感動に満ちた素晴らしい風景であることを認めながらも、
故郷の山々が、どんなに素晴らしいのかをわざわざ確認するために外国まで行ったのかもしれない、と思えるほど蔵王が愛おしいのです。
春。水が張られた田んぼに写る、まだらに雪が溶けた山の姿を見ると、じっとはしていられません。
残雪をバックにして、やっと芽吹いた木々の息遣いが聞こえそうな姿。
毎年、下界の花見が終わって、最後の花見を楽しむのは、屏風岳をバックにした不忘山のミネザクラ。
夏には百花繚乱の山の上を歩いて、秋は錦秋の風景を、冬は雪と氷に覆われた真っ白い世界を楽しむことができて、それらを見たいと思えば即、見に行ける近さにあるのですものね、大好き! 蔵王。
写真は風景を単にそこに留めるだけではなく、写した時の感動した気持ちも思い出すことができます。
最近のデジカメはカメラ自体が軽くて小さくなり、山に持っていくにも手軽になりました。気軽にバシャバシャ撮りまくることができます。
地元の山が大好きなのは、それだけではありません。
それらの景色と一緒にいつも山仲間の笑顔がある。
写真を見ていると、その時の楽しさがよみがえります。 ほら!
みんな例外なく笑顔でしょう?
この笑顔に会いたいからこそ、地元の山が一番好きなんですよね~。
仕事や社会的な肩書などまったく関係なく、山が好きだということでつながっている仲間たち。
私の大切な山仲間。
自然は、2011年の津波のように時として大きな災害をもたらすこともあるけれど、私たちに素晴らしいフィールドを用意してくれています。
人間が長い地球の歴史の中の、限られた一瞬だけこの世の中に置いてもらっている存在とすれば、自然の脅威や恐ろしさをしっかりと受け入れたうえで、せいいっぱい山仲間たちとこれからも地元の山を楽しみたいと思います。
10年以上分もたまった写真を選ぼうとして、ついつい思い出にふけってしまい、なかなか先に進めず。
さあ! 原稿をまとめなくちゃ。