おばさん、19日午後4時過ぎに市立病院で亡くなりました。
病院から連絡をもらった時、私は岩手県にまだいたので、パパと、従妹(おばさんの姪)に駆けつけてもらいました。
20日通夜、21日午前葬儀、午後密葬、百か日までの法要と、あわただしく送りました。
出席は、叔母さんの息子家族、あとは従兄たち。 ごく親しい人たちだけが集まってこじんまりと、それでいて温かい葬送でした。
19日はお医者さんからいただいていた治療計画のうち、退院を迫られていた日でした。
20日には退院する手筈になっていた。
じつは叔母さんには一人息子がいます。
彼は18歳で進学のために家を離れて、某会社に就職し、ずっと日本と外国を行ったり来たりしながら、住む場所は地球とばかりに日本の経済を支えてきました。
故郷に帰ってきて叔母さんたちに会いに来ることもまれでした。
働くだけ働いたその彼は、今、会社での役職をすべて辞し、末期がんの治療を続けているのです。
彼は密かに自分の逝くのは母親を送ってからという思いがあったと思います。
叔母さんは、たった一人の自慢の息子の、そういう事情を最後まで知りませんでした。
知らなくてよかったと思います。
娘から一昨日電話あり、
おかあさん、元気~?
そう、私はブログを書くことへの意欲をなくしていました。何を書いていいのやら、目的を見失っていたのです。
そうして更新せずほったらかしにしている私を娘は心配してくれた・・・・。
そうだ、ブログは私が元気でいることの証拠。それを娘たちに知らせる手段でもあったんだわ・・・・。