7月13日。
スイスのハイキングも、この日が最終日です。とても中身の濃い1日でした。
朝起きたらね、雨降ってるの(ノ_・。) しかし出発する時間には雨は上がってくれました。
グリンデルワルドからメンリッヒェンまで電車とロープウェーを乗り継いで、
そこからクライネシャイデックまでのハイキング⑥です。
ここでもたくさんの花を見ることが出来ました。
イワカガミもリンドウも日本にもあるけれど、なんか違うでしょ?色が違っていたりして…。
歩いているとつい、日本にある花と比べてしまいます。
先祖が同じだと思えば、その後の長い変遷が色を変えても、やっぱりなつかしくていとしい。
バターボールと呼ばれているそうよ。日本ではお目にかかれない。
この花の中を歩くのも、今日限りね~。
駅のそばには池があって・・・・アイガーの北壁が逆さに写ってる。
バターボール、シシウド? が池の縁を飾っています。
日本と比べると、冬の積雪量が少ないので、雪が足りない時のために、こうした人口の池が冬場のスキーのために人工雪を作るための材料になるんだそうです。
クライネシャイデック駅のすぐ上、アイガー、メンヒが見えるの丘に新田次郎さんの記念碑が花に囲まれていました。
「アルプスを愛した日本の作家、新田次郎ここに眠る」
私は新田次郎さんの山岳小説が大好きで、強力伝以来みんな読んでいる。
ここにはぜひ来たかった。
アルプスをこよなく愛し、何度かここも訪れている彼のために、奥様である藤原ていさんが、ここに許可を得て彼の愛用品を埋めて記念碑を作ったと聞いています。
よかった。この記念碑に会えて。
これがね、すごいのよ。トップ・オブ・ヨーロッパ と呼ばれるユングフラウヨッホまでこの電車が走っている。
アイガー、メンヒの山の中をくりぬき、トンネルの中をユングフラウヨッホ(3454m)までだよ
この電車に乗って、ユングフラウヨッホ(てっぺん)まで行きました。
こんなふうに、トンネルが山の上まで通っている。
今年は、1912年にユングフラウ鉄道が前線開通して100周年記念の年だそうで、鉄道の歴史が詳しく記してあるパスポートが発行されています。
もちろんいただいてきました。登頂記念に、スタンプも押してきました。
ほんとに、どうやって、誰が実際に作ったのでしょう。書いてあるんだけれど、やっぱりよくわからない。
以前の記事に、シャンティcocoさんから
こういうトンネル掘削作業や線路敷衍作業って、
いったい誰がなしえたのか、気になりますw。囚人を使ったり、移民を使ったのかしら・・。-0-;
と、コメントをいただきましたが、いただいたパスポートをよく読んでも、わかりません。
トンネルを掘削した時に出た土砂を、ここから外に出したのだそうです。
それが何か所か外を覗くための窓になっています。
やっぱり、西洋人は、私の想像を超えること、やっている。
一番標高の高い覗き窓からの、すぐ目の前の氷河。
ユングフラウヨッホの駅から、さらにエレベーターで昇ったスフィンクス展望台から眺めたすぐ目の前のユングフラウ。4158m。
この日は、雲が多くて、残りの写真は真っ白だった。
山頂の建物は、ここも気象観測所などに活用されているそうです。
トンネルの中の駅から山をくりぬいた歩道のほかに、ホール、アトラクション、おみやげ屋さん、
そして・・・・郵便局、
やっぱり、私は頭が痛い、。急に高いところまで上がるのは、弱い。
さて、最後のハイキングは、山頂の次の駅までおりて、アイガークレッチャー駅からクライネシャイデックまでのアイガー歩道ハイキング⑦です。
すぐ目の前に、右ユングフラウ、左メンヒの間から流れ落ちる氷河が、どーんと。
よく、見ておこう…。
コースの途中に、かわいらしい山小屋が立っていました。ミッテルレギ小屋。
グリンデルワルドとアイガーを愛した日本の登山家、槙有恒が1万フランを寄付してできた小屋だそうです。もちろん今は使われていません。
槙さんを記念してそれをここに移築して、中は当時の様子がよくわかるように展示してあって、外から見られるようになっています。中に、蝋人形の槙さんがすわっているのよ。
要するに、今はこのハイキングコースの点景に使われています。
槙有恒さんが、このスイスの人々に愛され、尊敬されていることがよくわかるエピソードですよね。
余談ですが、槙さんは仙台の名誉市民です。
アイガーを登ったのは若いときですが、そののち、マナスル登山隊の隊長として初登頂を果たしました。
ユングフラウ鉄道。電車が草原の中を登って行きます。もうすぐトンネルに入るのね。
さらに歩いていくと、・・・・・
かわいらしい教会と、池。
アイガーは、この厳しい山で遭難した人がたくさんいるのです。その、遭難した人々を弔い、安全登山を祈念して・・・。この池と教会は作られたのだそうです。
池のふちに並べられた石には、亡くなった人々の名前と、亡くなった年が、刻まれています。
名前が刻まれた石は、本当にたくさんあります。
日本人の名前も、あるのだそうです。
アイガーの壁を見上げました。この壁に、窓があいているのよ。 やっぱりすごいよね。
この山に挑んで、それで命を落とした人のこと、偲びました。合掌。
クライネシャイデック駅に戻ってきました。毎日花の中をよく歩きました。
7回のハイキングもすべておしまいです。終わってみればあっという間だったような、名残惜しさ。
この電車に乗ってグリンデルワルド駅に戻り、お土産を探したりして最後の夜を惜しみました。