2007年 ばあたんが70年暮らした取り壊す前の家の玄関先で写す。
母(ばあたん)が、死んじゃったの
まさか、まさか、こんなにあっけなく死ぬなんて、思わなかった。
食が細くなって、、食べさせようとしてもなかなか口をあこうとしないばあたんが、おいしいといって孫がおみやげに持ってきたあんこ玉を食べたのは、数日前。
ひ孫たちを見て、なんだべ~ めんこいごた゛~ といってにこにこしていた。
前日(1日)も、車いすに乗って施設のみんなと一緒に食事のテーブルについていた。
それなのに・・・・・
顔色が悪くて元気がないからと、かかりつけの市立病院に救急搬送されたのが、11時。
先生の診察を受け、入院が決まって、部屋も決まり、入院の準備をしに私とオットが外に出たのが午後1時30分。
そうだ、まだ昼ごはん前だった、とお蕎麦屋さんに入って注文したところで、
またケータイに電話が入って。
脈拍数が低下しているので、すぐ病院へ戻ってきてください!
食事しないでお金だけ払ってすぐ戻ったけれど・・・・・
先生が一生懸命心臓マッサージをしていた。
どうしますか? 人工呼吸器をつければある程度戻りますが。
ううん。そんなこと、しないで。そんなことしたら、かわいそう・・・・。
父(じいたん)の時のこと、人工呼吸器をつけて苦しそうでほんとうにほんとうにかわいそうだった。。。。
今死のうとしている人に、いったいなんのためにこれをつけなくちゃならないの? そう思った。
ばあたんの手を握って、ばあたんを呼んだ。 何回も呼んだ。
にぎった手が冷たい。
ぽっぺたも・・・・・・だんだん冷たくなっていく・・・。
心拍数を計っている機械のグラフが・・・・・・だんだん間遠になっていって・・・・・やがて平らになった・・・・。
ご臨終です。 4月2日午後2時44分。
87歳。
1か月も入院すれば、また元気になって、食事もできるようになって、穏やかな生活に戻れるものとばかり思ってた・・・・・。こんなに、あっけなく別れてしまうなんて、思ってもみなかった。
今日午前、
弟夫婦、我々夫婦、それに私の長女、 弟の長男が見守る中、納棺師さんがばあたんの体をきれいにぬぐい、お化粧をしてくれた。
31日の大嵐の日。ものすごい風と雨の中なのに、渋滞している高速道路を、旅行先からどうしても帰らなければ、と、強引に帰る気になったのは、なにか虫が知らせたのだったかもしれない・・・・・・。